活躍する同窓生

シャンソン歌手 田中みどり さん

小諸市のちょっと人里離れた森の中でしやれたカフェ兼ギャラリー「サロン・ド•ヴェール(緑のサロン)」を経営しながら、小諸市や佐久市の放送局でシャンソンの紹介などをされたり、地元の学生たちとコラボしたりしながら音楽活動をされている。古い会員はみどりさんを知っているが、21世紀になってからの会員とは少し馴染みが薄いかもしれない。時々東京に出て銀座のシャンソンバー「タクト」などで歌っている。
1949年上田市生まれ、小県蚕業(現上田東)高校卒。幼い頃、千曲川の川風に乗って流れてきた どこかの会社の終業メロディに惹かれた。後になってそれがシャンソンの「枯葉」だと知る。74年に 上田から横浜に転居、さらに結婚して東京へ移住し、主婦をしながら歌の会などに参加していたが、 50代に入った2002年に世田谷のシャンソンの先生に師事して本格的に歌い始めた。「シャンソンにはドラマがあり、歌にその人の人生が垣間見える魅力があります」。
2007年に知人もいない小諸市に移り、森の中にサロンを開店した。その翌年から「シャンソンを楽しむ会」を立ち上げ、東京から講師を迎えてシャンソ ン教室を始めて自分も歌い、以後は東京六本木、赤坂、銀座などのシャンソンカフェにも出るようになった。地元では軽井沢や松本、上田などでも歌う機会を作っている。近年は小諸で毎年7月に「KOMOROパリ祭」を開いてシャンソンの普及に努めている。

声楽家 中澤公子 さん

当会が誇る歌姫である。発足初期の頃から毎年の集いで懇親会の最後に登壇して「信濃の国」の歌唱指導されていて、お馴染みの方も多い。しかし、本格的なオペラ歌手(メゾソプラノ)としての歌唱を聴いた人は意外に少ないのではないか。今回はその素敵な歌声を聴けるチャンスである。中澤さんは上田東高校卒で高校時代は吹奏楽部でフルート担当だったが、東海大学教養学部音楽課程に入ってから本格的に声楽を学び、第53回読売新人演奏会に 出演してオペラ歌手としての道を歩み始めた。1985年にソレイユ新人オーディションに合格、翌年にはイタリア声楽コンコルソ入選。その後、「カルメン」「リゴレット」「こうもり」などオペラの名曲に出演、1994年 にはルーマニア国立歌劇場で「カヴァレリア•ルスティカーナ」、1996年スロベニア国立歌劇場で「リゴレッ 卜」、1998年には彩の国芸術劇場で「修道女アンジェリカ」などに出演された。2004年と2006年には上田市で の「Cinque Voce in Ueda (上田 5つの声)」に出演し、その後もCinque Voceの主宰をしている。
地元の埼玉では川口リリアホール、ふじみ野市、池袋などで毎年のように公演して好評を博している。ふじみ 野市音楽協会、オペラ・リリカふじみ野所属

筑波大学名誉教授 太田 圭 さん

1957年上田市常磐城出身。上田東高校を卒業後、1浪して東京芸術大学に進学し大学院を含め9年間日本画を学ばれる。19 8 7年から筑波大学に勤務され、教授、副学長(学生担当)を務められ、その傍ら蹴球部副部長にもなられた。現在は筑波大学長特別補佐、名誉教授、特命教授(ヒューマンエンパワーメント推進局長)。日本スポーツ芸術協会理事として自ら発案された「リボー ン・アートボール」の普及活動に努めている。
ふるさととの関係では2014年に1649件の公募 から選ばれた上田市の施設「サントミューゼ」の命名者 として知られる。「サント」は養蚕で栄えた「蚕都」に 由来、これに美術や芸術の「美の女神(ミューズ)」を 組み合わせたという。また同年に青木村奈良本の古寺、瀧仙寺本堂の天井画を筑波大で日本画を学ぶ大学院生、 留学生、教員ら52名で制作して寄進された。天井画は 花を主体に98枚描かれている。

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